科学技術技術は私たちの生活を便利にしてくれる一方で、社会や環境に重大な影響を与え得るものでもあります。AIやIoTに関連した、あるいはその他の様々な新技術を取り込んで事業を開発する私たちビジネスパーソンにとっても、その経営判断一つで大きな過ちを犯してしまう可能性もあります。今後の世代にもつながる持続可能な社会の実現に貢献するためにも、技術開発の本来の目的と倫理的価値についてもきちんと考えておく必要があるでしょう。このブログではアインシュタインが発見した「相対性理論」とそのテクノロジーの進化がもたらした矛盾を事例にして、私たちは科学技術の進展に対して何を教訓とすべきなのかを考察していきます。
【こういった方におすすめ】
・科学技術による便益を受け入れる現代人が持つべき倫理観について考えてみたい
【このコラムでわかること】
・新しい科学技術の発明は、使用する人間次第で恩恵にも害にもなる可能性があること
・高度なテクノロジーに囲まれて生活する現代人には、使いこなす知識だけではなく高い倫理性が必要となること
1.アインシュタイン 相対性理論の発見とその驚くべき意味
テクノロジーの進化が生んだ原子爆弾
科学技術の進歩は人類に計り知れない便益と幸福をもたらすはず。20世紀の初め多くの人たちは疑いを抱くことなく、この夢の実現を信じていました。人類の夢と希望を乗せて大空を舞うはずの飛行機や飛行船は第一次世界大戦中に戦闘機として活用され、本来は便利な道具として開発されたはずの機械が兵器に応用されて、戦場に続々と投入されていくという現実を突きつけられました。
このアイロニーをさらに鮮明な形で私たちに突き付けたものの一つが原子爆弾の開発であり、過去の歴史において最新技術が人類に不幸を招いた大きな負の遺産といえるでしょう。
“光”に乗れば何が見えるのだろうか
ユダヤ系ドイツ人として生まれた理論物理学者アルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)は20世紀を代表する、誰もが認める天才科学者です。スイス特許庁の職員として働いていた26歳の彼が一般学術誌に論文を発表した1905年は、今日では「奇跡の年」と呼ばれています。その論文の中に、ニュートンが18世紀に確立した「万有引力の法則」を根本から問い直す「相対性理論」が述べられていたからです。アインシュタインは現代物理学の地平を一気に拡大したのです。
アインシュタインはかつて「“光”に乗ることができたら、どんな景色が見えるのだろうか。何が起きるのだろうか。」と夢想する少年でした。当時16歳の彼には答えが見つかりませんでしたが、それから10年間彼は同じ問いを考え続けたのです。光の波の頂にずっと乗り続けたとしたら、光は止まって見えるのか。時間が止まってしまうのか。そしてたどり着いた答えが「相対性理論」でした。
「相対性理論」を発表した数か月後、アインシュタインは追加の短い論文を書きました。そこには有名な公式“E=mc²”ーあらゆる物質に含まれるエネルギー(E)は、質量(m)×光の速度(c)の2乗ーという途方もない数字になることが示されていました。
世界は初め、アインシュタインの発見の驚くべき意味に全く気が付きませんでした。わずか1gの物質にも莫大なエネルギーが秘められている。そのエネルギーが実際に放出されない限り、それはまったく観測されません。それはまるで決してお金を使わない資産家のようなもので、どれほど貯め込んでいるかは誰にもわかりません。しかし、もしもそのエネルギーを彼が考えた公式に従って有効に活用すれば、石炭や石油などとは比べ物にならないほど効率の良い発電が可能になるかもしれないのです。
2.戦争の悲劇
1930年代のヨーロッパは一歩また一歩と、第2次世界大戦に向かって不気味な歩みを進めていました。ユダヤ人であったアインシュタインはドイツ政権党ナチスの迫害を逃れて、1933年54歳の時にアメリカに亡命します。それまで良心的な兵役拒否を支持していたアインシュタインでしたが、この亡命を機に態度を変え、ユダヤ人を弾圧するナチスへの積極的抵抗を訴えるようになりました。
大統領への手紙
そして彼は1939年、他の科学者が原子爆弾の開発を促すルーズベルト大統領宛の手紙に署名をしたのです。その内容は次のようなものでした。
ーこの4か月間の研究により大量のウラニウム中に核連鎖反応を起こすこと、それによって莫大な力と多量の新しいラジウム様の元素を産み出すことが可能になりつつあります。そしてこれが近い将来に実現するのは、今やほとんど確実なように思えます。
この新しい現象はまた、爆弾を作ることも可能にします。新しいタイプの非常に強力な爆弾が作られるということは、十分に考えられることでもあります。この状況を鑑みれば、大統領におかれましては核分裂連鎖反応の研究をしている物理学者たちとの持続的接触を密にすることが望ましいと、お考えいただきたいと存じます。
現在この研究は大学の実験室の限られた予算で実施されていますが、基金を用意すること、そして必要な設備が揃っている各企業の協力を得ることで、実験作業を早めることが可能ですー
動き出したマンハッタン計画
このようにして原子爆弾開発のための「マンハッタン計画」は動き始めました。ニューメキシコ州の人里離れた大地に秘密の研究所が開設され、ユダヤ系物理学者オッペンハイマーを初め世界中から集められた人材が世間から隔離された研究生活を送りました。核連鎖反応の実験は成功し、原爆兵器は実用化されました。
1945年5月、連合国軍による激しい空襲を受け続けたドイツはついに降伏し、アインシュタインにとっての敵であったナチスは完全に滅び去りました。しかし、全面降伏を拒み絶望的な戦いを続けている国が1つだけありました。日本です。戦前の1922年に初めて訪日したアインシュタインは官民を挙げた大歓迎を受け、以来大の親日家でした。美しい自然のなかで独特の文化をはぐくみ、心優しく謙虚でありながらも毅然としたたたずまいを保つ日本人に対し、彼は深い感銘を受けました。日本には彼の多くの友人もいました。その日本が、原爆投下の危機にさらされているのです。
アインシュタインは原爆開発に携わった多くの科学者とともに大統領宛に、今度は原爆投下反対の請願書を提出しました。しかし、この手紙を読まないままルーズベルト大統領は脳溢血に倒れ急死してしまったのです。そして後任トルーマン大統領の承認に基づき1945年8月6日に広島、8月9日には長崎に、B29爆撃機による原爆投下が実行されました。
3.アインシュタインが投げかけるメッセージ
戦後の1953年になって、日本人の哲学者篠原正瑛(しのはらせいえい)はアインシュタインに1通の手紙を書きました。それはこのように綴られています。…人類の福祉と幸福に奉仕すべき科学が、なぜあのような恐ろしい結果をもたらすようになったのか。偉大な科学者として原爆製造に重要な役割を演じられたあなたには、日本国民の精神的苦痛を救う資格があるのです。
アインシュタインからは回答が寄せられ、それは篠原が編集者だった雑誌「改造」に掲載されました。…私は日本に対する原爆の使用は常に有罪と考えています。しかし私はこの致命的な決定を阻止するために、何もできませんでした。…私は断固として平和主義者ですが、絶対的な平和主義者ではありません。
…ヒトラーのナチス政権下で、ドイツ人たちが先に独自の原爆開発に成功し保有することは、何としてでも阻止しなければならなかった。…私の見解では、暴力を用いることが必要となる条件があるのです。それは私に敵があって、敵の目的が私と私の家族を殺害することにある場合です。…
この手紙を書いた2年後、アインシュタインは亡命先のアメリカで76歳の生涯を閉じました。夢と創造の世紀でもあり、不安と混乱の世紀でもあった20世紀を生きた科学者アインシュタインが、21世紀の私たちに投げかけるメッセージとは一体何なのでしょうか。
まとめ
新しい科学技術が産み出す画期的な発明品の数々。それが私たちに何をもたらすのか、可能性を広く深く想像し、論理的な帰結を考察する。現代の私たちにはその確認作業を怠ることはできません。
2020年代を生きる私たちが今直面しているのは、例えばIT(Information Technology)の進化の問題。インターネットや携帯電話の発明は私たちの生活空間を拡大し、便利で豊かなものに変貌させてきました。しかし、その一方でITの恩恵を受ける人とそうでない人々との間には、新たに社会的経済的な格差が生じつつあります。また独裁色の強い国家群においては、国家によるデータの独占や国民監視システムの構築等が平然と行われるようになりました。
どのようなテクノロジーであれ、それが創造された本来の目的が何だったのかを正しく理解することは決定的に重要です。それを誰が使用するのか、最終的に誰が受益者となるのか。人間の恣意によって、当初の善なる動機が予期せぬ方向に捻じ曲げられてしまうことはないのか・・・。私たちは過去の歴史にも謙虚に耳を傾け、ただ便利な技術に飛びつくことなく、丹念な検証を続けなければならないでしょう。