政治経済のグローバリゼーションが進む今日、‟資本主義”は世界共通のキーワードです。誰もが疑い得ないはずのこの大前提に、根源的な問いかけを行ったのが寺西重郎氏の著書「日本型資本主義―その精神の源―」でした。彼は西欧産業革命の土壌にキリスト教徒の職業精神があったように、近現代日本の経済発展は鎌倉仏教や江戸時代の商人道徳抜きには語れないと述べます。さらに昨今成長が著しい中国や韓国には、儒教道教をベースにした第三の型の資本主義が存在するはずだと、考察は進んでゆきます。
このブログでは日本の資本主義のあり方について、寺西重郎氏の考察を元に学んでみたいと思います。
【こういった方におすすめ】
✅これから変化を遂げていく社会のありようについて考えてみたい
✅国際競争のただ中にあっても日本ならではの強みをいかす方向性は何かを考えてみたい
✅日本人が良いモノづくりや高品質にこだわる理由を知りたい
✅日本人の長所、日本社会の特質について考えてみたい
✅経済史や社会思想に興味がある
✅宗教が社会や経済に及ぼした影響について知りたい
【このコラムでわかること】
✅西洋とは明らかに異なり、同じ東アジアの中国や韓国とも似ていない独特の資本主義の精神が日本には存在しているということ
✅その源流は、一般の生活者や職業人が“悟り“にアプローチできる小さな通路を開拓した鎌倉仏教にあったということ
✅江戸時代の民間思想家が広めた“正直”‟勤勉““倹約”の道徳律が、後の近代日本資本主義のバックボーンとなっているということ
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“日本独特の資本主義”という視点
「あなたは毎日毎日どうして、そんなに一生懸命に働くの?誰かに指示されたわけでもないだろうに」。知らない人から突然そのように尋ねられたあなたは、一瞬言葉に詰まったあと、どのように返答するのでしょうか。
日本人は元来、勤勉な民族だと思われており、「良い仕事をしたい」「良いモノを作りたい」という情熱と日々の精進が、アジアの国々の中では最初の先進国入りを果たした要因だと、一般的には考えられています。
しかしそこに止まることなくさらに一歩足を踏み込めば、そのような日本人の心の深層には、日本人ならではの「資本主義の精神」とでもいうべきものが横たわっているのではないでしょうか。その問題提起から、きょうの物語は始まります。
たとえば多くの日本人は、強欲な金儲け主義には直感的に嫌悪を感じます。逆に良い仕事、良いモノづくりには敬意を払い、ひたすら高品質を追求します。個人がスポットライトを浴びることよりも、所属する集団の一員として行動し、その集団が成果を上げることの方を重視します。
さらには企業活動の成果を株主に還元することよりも、むしろ社内の人的資本への再投資を重要視します。あるいは企業グループ内の関係依存的な取引を好むなど、欧米の投資家から見れば理解に苦しむ企業行動を、当然のこととして選択します。
西洋の資本主義とは趣きを異にし、また近年経済発展が著しい中国や韓国のそれとも明らかに似ていない、日本独特の資本主義のカタチはどのように生れてきたのでしょうか。その由来を解き明かそうとする意欲的な試みが、一橋大学名誉教授(経済学)寺西重郎氏著「日本型資本主義―その精神の源―」(中公新書 2018年8月25日発行)です。
土台となった宗教の違い
近代資本主義は、18世紀後半に蒸気機関車や自動機織り機を産み出した産業革命がその出発点であり、その誕生の舞台は大英帝国イギリスをはじめとする西欧でした。当時、文化的には先進地域だった中国やイスラム圏ではなく、なぜ西欧、なぜイギリスに産業革命が起きたのでしょうか?
宗教の比較研究を通してこの問題を解明したのは、ドイツの社会学者M.ウェーバーであり、彼を有名にしたのは1905年に発表した論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。
ウェーバーはキリスト教、特にプロテスタンティズム(新教)に基礎を持つ「禁欲」を旨とする職業精神が、資本主義の発展に大きな意味を持つに至ったことを明らかにしました。それまでの伝統的牧歌的な生活様式を脱し、自然を征服して人間の生活のために利用する。また我が身を律して機械を用いての労働と営利企業の経営にいそしむ。そのような新しい生活様式への順応が、産業革命に直結しました。
営利目的の会社組織を持った工場制機械生産の仕組みは、その後全世界に普及伝播してゆき、それは現代の企業組織やテクノロジーの母胎となっています。
「日本の資本主義」と言えば歴史の教科書に出てくるように、一般的には明治時代以後、西洋の技術と制度を導入して建設された近代的な工場群や企業などが頭に浮かぶでしょう。しかしそれは、物語の半分でしかない、と寺西名誉教授は言います。
良い仕事、良いモノづくりへのこだわりを初めとする日本型資本主義の特長は、彼の説によれば、鎌倉時代の仏教の革新にその淵源をたどることができます。日本では身近な他者との交わりや自然との共生を大切にする、仏教由来の文化が日本型資本主義の精神を進化させたのです。それはやがて、江戸時代に始まる商業中心の経済成長をもたらしたことが明らかにされます。
でも本当にそんなことがあったのでしょうか?仏教が資本主義を生む、というのは一体どういうことなのでしょうか?
“神の救い”と“悟り”
一神教であるキリスト教において、神は絶対的な存在です。西洋では人間は死後、「最後の審判」に臨み神の救いを得るため、生前においてひたすら神の栄光を高めるべく生きなければなりません。
それは非合理的な衝動を抑えて、毎日を禁欲的かつ合理的に過ごすということ。職業生活の中において、計画的組織的に営利を追求することが、人間としての正しい道であると教えられました。
これに対して仏教の世界観は全く異なります。仏教の世界に「神様」は存在しません。人々が求めるのは「神の救い」ではなくて、自分自身の「悟り」です。具体的には何が違うのでしょうか。
「輪廻転生(りんねてんしょう)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。仏教の世界では、すべての生き物の生命は目に見えない地下茎のようなものでつながっていると考えます。今あなたはたまたま人間としての生を生きているが、その生を終えた後今度は魚に生まれ変わり、海の中で一生を送る運命にあるかもしれません。そんなあなたがある日漁師に捕えられて、魚としての生涯を終えたあと、次は鳥のヒナとして生まれ変わり…というように命の連鎖は果てしなく、無限につながってゆきます。
生きては死に、死んでは生まれ変わる輪廻を際限なく繰り返す。この無常で転変極まりないのが人世の真の姿であり、今現世で栄達を求めることは、まさに砂上に楼閣を築くに等しい行為です。
すべての生き物にとって、輪廻は業(ごう=宿命)であるとされています。そこから抜け出す方法はないのでしょうか。実は、一つだけあります。それは、世界の無常の構造を理解すること。業の元である煩悩を振り払い、あなたが「悟り」に達することで、その可能性が広がります。
「悟り」への到達は、容易なことではありません。出家して僧院に入り、様々な厳しい修行を踏み、心の眼を開いて行くことで、少しずつ真理に接近することができるかもしれません。しかしそれは限られた立場の人にだけ認められた、いわば特権のようなものでした。
この考え方を大きく転換し、「悟り」=「成仏(じょうぶつ)」を広く大衆化したのが、鎌倉新仏教の先駆者たち、即ち法然、親鸞、道元、日蓮等でした。彼らは出家しない一般の在家信者にも「成仏」の資格を認めました。しかもただひたすらに念仏、例えば南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)や南無妙法蓮華教(なむみょうほうれんげきょう)など唱えるだけで。或いは一心に座禅を組むことで。それが彼ら庶民にとっては、十分な修行であると考えたのです。
江戸経済の繁栄をささえた商人たちの道徳律
鎌倉時代の先駆者たちは、仏教の教義をより身近でわかりやすいものに衣替えするために、易行化(いぎょうか)を図りました。このことが中世日本において、人々が日常生活の場や職業の場において、宗教活動を日々実践することを可能としました。
信者たちは身近な他者への心遣いなど、生活や仕事の中で善行を積みながら、ひたすら念仏を唱える。座禅を組む。その行動を通して少しずつではありますが、自分たちの住む世界の構造を理解してゆく。悟りを求める生活者や職業人が、誰でもアプローチすることができる、小さな通路が開かれたのでした。
1603年に始まる徳川政権下の江戸時代は、幕府と藩を中心とした国内政治の安定と、年貢米の生産、流通を核とする経済的な繁栄が250年以上にわたって継続した、日本史の中でも稀有な安定成長期です。
長期にわたって発展が続いた要因として、江戸という過去に例を見ない巨大な消費都市が生まれたこと、幕府のインフラ整備によって海運業が発展し、国内の物流コストが大幅に低下したことなどが採り上げられることが多いようです。
寺西名誉教授はそれに加えて、江戸時代の「道徳律の進化と普及」といった内面的な要因が商取引コストの低下をもたらし、持続的なマクロ経済成長を支えたと主張します。すなわち江戸時代の市場経済においては、取引に関わる人々が「正直」に行動し、また「倹約」に努め「勤勉」に職務に励むという共通認識を共有しており、これが社会に信頼のネットワークを構築したのです。その結果として無駄なコストの発生が抑えられ、商業主導の経済成長を実現したと考えます。
「正直」「勤勉」「倹約」はすべて江戸時代の民間思想家が広めた、庶民向けの通俗的な道徳です。そして新しく考え出されたこれらの思想の普及を可能にしたのは、先ほど触れた鎌倉新仏教の「易行化」精神だと説明します。
曹洞宗の僧、鈴木正三(すずきしょうさん:1579~1655年)は元々は関ヶ原で戦った徳川の旗本であった人物です。彼はその後出家し、農民たちに次のような言葉を与えました。即ち「極寒極熱の辛苦の労をなし、鋤鍬鎌(すきくわかま)を用いて煩悩の叢茂き(くさしげき)心身を敵となし、すきかえし刈り取り、心を着てひら責めに責めて耕作すべし」と。
農民の労働は辛く厳しいものです。しかしその仕事を毎日繰り返すことによって、雑草のように強い煩悩から脱却し、悟りを目指すべきことを説明したものです。また正三は、自分に対する厳しさは「他者への尊敬」と一体の関係にあり、人間は身近な他者とのかかわりの中で、自己の鍛錬を行うべきであると説きました。
基本道徳としての“倹約”と“正直”
二宮尊徳(にのみやそんとく:1787~1856年)は、没落した家の再興と荒廃した農村の復興を目指して刻苦勉励し、その成果の基づいて農民の道徳律を説いた思想家です。彼の教えの中心は「倹約」ですが、これは単なる節約ではなく、生産物収入の半分以下に支出を抑える。しかし残った半分の生産物は、不作に苦しむ他の農民の救済のために提供したり、或いは将来のために投資する。このような理にかなった発展戦略を伴うものでした。
彼の頭の中では、倹約と勤勉は過去と未来を結びつけるダイナミズムであり、労働(勤勉)と適切な投資(倹約)によって土地の生産性を高めつつ、生産物を増加させることに、その基本的な意味を有していました。
尊徳は領主と交渉して農民の取り分を増やしてインセンティヴを高めるとともに、治水などのインフラ整備により働きやすい環境を整えました。よく働く農民を表彰して模範を示すなどして、農民自身が自己変革の意欲を持つように仕向けることに意を用いたのです。
石田梅岩(いしだばいがん1685~1744年)は、江戸時代初期の商人蔑視の気風に抗し、商人の社会的地位の確立に尽力した思想家です。商人が社会的分業の中で大きな役割を果たしていることに誇りを持ち、そのバックボーンである道徳律に従うべきことを要請しました。
商人は「正直」の基本的な道徳を守り、禁欲的な自己規律に従うことが重要であり、さらにそれは家業に精進する中で自得しなければならないと説きました。日常的な職業生活においては「足るを知り」、おのれの「分」をわきまえることで集団秩序の維持に努めつつ、現実社会の中での道徳律の価値を理解すべきであると考えました。
商人の職分には「物資の流通」という、社会が機能するためには不可欠の役割があります。商人の利益(儲け)は、そうした社会分業上の役割に対する正当な報酬であり、その役割を適正に果たしていくためには、「正直」は不可欠の道徳規範であると考えられました。
それは単に「不当な利益をむさぼらない」ということではなく、自らの社会的な義務を忠実に履行し、「事態の本然」に従うことを意味するものでした。
それは「士農工商」という江戸時代の社会的分業に対応した道徳律として進化・普及し、日本人の内面的な社会資本として洗練されていきました。
現世肯定の価値観にもとづく中韓の資本主義
西欧がキリスト教由来、日本が仏教由来の資本主義として整理されるのに対して、中国・韓国(東アジア)のは第三の型、すなわち「儒教」「道教」を基底にして現世を肯定する価値観を持つ、もう一つの資本主義であると、寺西名誉教授は説明します。
一般に孔老思想と呼ばれる儒教・道教においては、「現世」が最善の世界であり、教養を蓄積して均整のとれた人格を持った「君子」となることによって救いが得られると考えます。キリスト教や仏教と異なり、現世と来世との間には緊張関係が存在しない点に、最大の違いがあります。究極の真実である道(タオ)と一体化することで、不老長寿、一族の繁栄を獲得することが、広く民衆に支持されてきました。
また儒教では「士と庶」という指導者と被支配階級の区別の観念が根強く、指導者である士大夫(したいふ=官僚)は賢者として理性を研ぎ澄ませて、本性が曇らされた庶民大衆を指導支配すべきものとされました。
中国では長い歴史を通じて、変遷を繰り返した国家王朝・皇帝のもと、官僚たる士大夫たちが大衆を支配し導いてきました。そしてそのスタイルは中国共産党官僚が13億の人民を統治する今日においても、その基本構造に大きな変化はありません。
西洋では超越神による救済を希求することが人々の行動の前提となり、日本では輪廻からの脱却を求めることが人々の行動を規定した。ともに現世は苦しみに満ちたむなしいものであり、宗教的な救済を求める心が人々の行動の原点となっています。これに対して東アジアでは基本的に現世は肯定すべきものであり、周りの世界を文化的にも道徳的にも快適なものにすることが、人々の行動を規定しました。 この結果、三つの地域の人々の経済活動を行う際の世界観は大きく異なることになりました。
まず西洋では、周りの世界は自立した個人と公共世界からなるものと認識され、人々は公共の福利厚生のため十分な生産物を供給すべく、個々人が禁欲的に職業に励むことになりました。日本では人々が見る世界は、自分の周りの身近な他者から連鎖的に広がっていく世界です。この中で人々は「悟り」を得るために、職業的な求道として経済活動を行い、また身近な他者との間に道徳秩序を構築しようと努めました。
これに対して東アジアの人々の見る世界は、自分の家族と祖先からなる私的な世界と、士大夫的な国家秩序から構成されます。そのように認識された世界において、人々は一方では過剰ともいえる政府の統制を容認し、他方では現世肯定の立場から野放図な利益追求行動を産み出している、とも考えられるのです。
まとめ
このブログでは、日本人ならではの「資本主義の精神」のようなものがどのように成立してきたのかを、寺西重郎氏の著作を紐解きながら学んでみました。今世界では、米中の覇権争いが激しさを増しています。アメリカの合理的資本主義と、中国の天命思想からくる統制を加えた資本経済がぶつかりあい、また、世界各国がそれぞれの歴史的・思想的背景を抱えながら、国際競争を繰り広げているといえるでしょう。
わたしたち日本は、欧米型の資本主義に追随していくだけでいいのでしょうか。中国のような国家統制をうける経済に飲み込まれていいのでしょうか?日本には日本に合った資本主義の形で、国際社会に貢献する方法はないのでしょうか。寺西重郎氏の『日本型資本主義』は、そのようなことを考える一つのヒントになるかもしれません。