改革は修羅場の連続です。ときには心が萎えてしまうことがあるでしょうし、「失敗してしまった!」と思うこともしばしばです。でも、その失敗から学んで大きな飛躍につなげるために、改革者はどのように気持ちを維持していったらいいでしょうか。自身の「志」を今一度確認し、事業改革に臨むリーダーシップについて考えていきます。
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改革者の心得 その1 ~失敗を乗り越えながら組織は成長していくものだと心得る~
コロナ禍を1年以上過ごし、日本経済の向かう先にはさらなるイノベーションをが求められています。この領域は、私たちにとって未知の世界であり、その変化に対応していく過程には、もちろん成功もありますが、失敗もあるでしょう。
世の中に、数多くのイノベーションや改革の教科書がありますが、それを実践することが難しいのは、その教科書に書かれていることを実行しうる環境や人材が整っていない組織が多いからです。
改革を目の前にして戸惑っている人たちに、論理的に説得しようとしたり、すぐさま起死回生の戦略を打ち出して理解を求めるのは難しく、彼らは失敗を恐れて尻込みしてしまうことでしょう。しかし、失敗なくして成長を果たした組織はありません。わたしたち改革者は、不確実であっても進むべき方向を指し示さなくてはならないのです。
ある改革プロジェクトにおいて、失敗を繰り返しながらも赤字脱却を遂げた事例を紹介しようと思います。
できていないことを否定するのではなく、「認めること」の重要性
ある改革プロジェクトにおいて、その責任者は次のように述べました。
「私たちはこれまで何度も、いや何十回も改革の取組みをしてきたが、結果は現在でも赤字ギリギリの状態だ。今が失敗の渦中にいるということなんだ。私たちはこのレベルなんだよ。我々は格好の良いことはできない。でも、実践する気力だけは残っている。だから、ここで話し合ったことは、次の一週間のうちに実践しようではないか。そして、それが失敗だったら、また振り返ればいいじゃないか」。
この責任者の言葉は、メンバーを失敗の恐怖から救いました。そして、「自分たちは大したことがない、失敗する集団だ」と、素直に自らを見つめているのが特徴的です。私たちは、失敗を感じたら本能的にそれを避けてしまう習性があります。だから、「失敗してしまった!」と感じても怯まずに突き進むためには、この責任者のように、失敗しても怖くはないのだということを明確にして、皆を支援する必要があるのです。
このプロジェクトはその後もメンバーは取組みを続け、失敗も重ねていきました。3カ月が経過しても、一向に顧客が獲得できず、業務プロセスの改革も試行錯誤が続いていました。しかし、そのような失敗続きでも1週間毎のミーティングでは、失敗から学ぶぼうと皆で共有しました。「なぜ、顧客が獲得できなかったのか」ということを、「単に価格で負けたから」、「競合の商品が良かったから」で済ますことなく、組織の弱みを明らかにしていく作業が続いたのです。
そして半年後。この組織は赤字から脱却するという第一歩を踏み出すことができました。
現実を受け入れる
私が改革プロジェクトで意図的に行なっていることは、「やるはずであったことができなかったら、すべて失敗でしょ。」と言うことです。例えば、ある仕事を提案しても相手の会社に受け入れられず、受注できなかったとしましょう。私はこれも失敗であると伝えています。特に、改革の中心となるタスクフォースチームのミーティングで、「やる」と決めたことが出来なかったときは失敗と受け止めなければなりません。これは厳しい見方かもしれませんが、プロセスをいくら誉めても結果は出ません。しかし、その失敗から学ぶことができれば、次の大きな飛躍につながることは間違いないのです。
改革者の心得 その2 ~修羅場の連続には「自分の強み」で立ち向かう~
改革や再生の現場では、修羅場がいくつも待ち受けています。そのときは苦しくても、後になって振り返ることがあれば、それは良い経験だった思うことでしょう。ビジネスにおける修羅場とは、「今あるその人の能力がおかれた環境に追いつこうと試行錯誤を繰り返すこと」であり、その過程自体が、修羅場の経験ということです。しかし、苦しみながら、単にキャッチアップするだけでは、雪山の強行軍みたいなものになってしまいます。
修羅場の切り抜け方は極めてシンプルです。まずは、なぜ自分がこの修羅場という「場」にきているのかを自分自身に問いかけてみてください。その修羅場にきた理由は、運命だったと思ってもいいし、これまでの出来事と関連があったからと思ってもいいです。自分がそこにいる理由を肯定できたら、次はいよいよ修羅場をどう切り抜けるかです。修羅場は弱みを克服することでは切り抜けることはできません。
なぜなら、それは意気消沈してしまい、愉しくなくなるからです。大抵の場合、修羅場では目の前の壁が高く見え、乗り越えられないと思ってしまいます。そこではマイナスの気持ちに偏ることが多いので、自分の弱みばかりが目立つのです。このような時にこそ、逆に「強み」に集中しなければなりません。あなたを追い込むのは、あなた自身です。そのような苦しい状況の中でも自分が「活きる」方法を考え、粘り強く実践を繰り返すしかありません。そしてふと気づいたら、その「場所」はあなたにとって、もはや修羅場ではなくなっているはずです。
改革者の心得 その3 ~腑に落ちるまで話し合う~
このブログのメインテーマは「高き志」ですが、それさえ持てばそれで会社が良くなるというものではありません。改革や再生のプロジェクトでは、どんなに実践が大事であると繰り返し言っても、行動に移されないことがよくあります。例えば、ある課題について、全員で決めたことが実践されずにいつまでたってもそのままになっているといったことです。
これは、ミーティングで決めたことが自分の中で「腑に落ちていない」のに、「ま、いいか。」という妥協から起こります。メンバーの話を聞いてみると、「プロジェクトで決めたことに自分の思考回路が付いていけないことがあるけれども、その場を乱したくないので、何も言わなかった」というのです。
組織全体への落とし込みは、見える化した理念や戦略が重要になってきますが、個人ベースになると個々人が「腑に落とす」ことが絶対に必要となってきます。そのためには、お互いに「決めたら実行できているどうか」の確認が必要なのです。私がよくやるのは、メンバーの顔つきや雰囲気を読むことです。これは表現しにくいですが、「腑に落ちた」瞬間は、霧が晴れるようにメンバーの表情が変わります。
改革者の心得 その4 ~仕事と人生を同時に楽しむ~
何十年と仕事をしていると、目の前の仕事に必死になってしまい、周りが見えなくなってしまうことがよくあります。わたしはそれをダンスホールとバルコニーのたとえでよく説明します。もし、ダンスホールで仕事をして必死になってしまっていたら、少しバルコニーにあがって全体を俯瞰することが必要です。そのときには、愉しめることを探してみてください。
人生と仕事の関係でいえば、仕事は苦しいものであることがほとんどです。しかし、それには前提が付きます。仕事に対して自分が従属的になる場合です。もちろん、会社員は完全に従属から解放されることはないですし、特に、若い方は仕事を身につけるまでは、従属的にやらなければならないときもあります。しかし、人生は楽しむものであり、人生の一部である仕事も自ら愉しみながら創造していくのです。
厳しい改革や再生のプロジェクトに身におくと、若い人たちの方が、むしろこうした厳しいプロジェクトを積極的に受け入れます。彼らは自分たちが「活躍で来ている!」という自覚を持ちたいからです。イノベーションは異なる「知」が融合したときや、何かの境目で生じるものですが、改革や再生はこの大きな「境目」であることは間違いありません。仕事や生活が一本の線の上を歩んでいる「線形」だとすると、こうした改革や再生はあちらこちらへいく「非線形」であり、若い人たちはそれを辿っていくことを愉しみにするのです。
余談ですが、今の私の役割は、「仕事をやっていて面白かった、人生は楽しい。」という人を一人でも多く創ることです。こうした人材が創出されることで、事業や企業は活性化に向かっていきます。もちろん、キャッシュの流出を阻止しなければならない緊急段階では、人材を育成するよりも経営数字の確保に追われますが、この段階を早く終えて、人材を創りあげることこそが最大の経営課題です。
人材を輩出するには数年を要します。「頭がいいとか、モノをよく知っているとか、経営知識があるといったことは、経営を補佐する段階では必要だが、経営を担う者には重要な要因とはなり得ない」と思っています。経営で必要なことは、“闘う”姿勢と、周囲をその気にさせながらしつこくやり続け、仕事や人生を楽しむ哲学や信念なのです。
まとめ
数多くの修羅場を乗り越え、改革や再生を成功させるためには高い志と熱い心が必要不可欠です。その熱量は、きっと周囲を巻き込むことでしょう。「どうしたらいいんだろう!」という言葉が浮かんできたときこそバルコニーにあがり、全体を見回してみましょう。ひと呼吸・ふた呼吸おいて気持ちを静めていくと、見えてくるものがあるかもしれません。