議論する勇気がある組織ですか?

 あなたの組織では、調和を重んじるあまり、議論が出来なくなっていませんか?もしきちんと議論できないとしたら、それは意図せず相互に依存し、甘えを生んでいる可能性があります。変化に素早く適応できる組織を目指すならば、甘えの構造を徹底的に排除しなくてはなりません。

 

 

和を重んじる会議

 わたしたち日本人は「和」を大切にし、周囲との関係を非常に大切にする集団主義だといわれています。しかし、ビジネスの場における会議やミーティングで、「調和」が重んじられすぎたら何も決まりません。特に、これまで安定してきた企業においては、「和」を重んじる、つまりコンセンサス重視の傾向が非常に強い傾向にあります。市場で競争して勝たなければ生きられないという理屈は理解しているのに、総意が反映されているとか、自分の考えを入れてもらっているという安心感が必要なのです。また、こうした方法の方が、途中で反対意見が出ずに、よりスムースに実践できるという考えが背景にあるのでしょう。ただしこれが通用するのは、経営環境が安泰であるか、外部環境がその企業の努力以上に成長しているかのどちらかです。これまでが安泰な経営環境であった場合、現在の上位職の人たちは、周囲の「和」を重んじる人たちが多い陣容となっていることでしょう。じっくり時間をかけて皆のコンセンサスをとってから、実践しようという空気が流れていることがほとんどです。ある事を決めなければならないのにも関わらず、いろいろな人に気を遣い、「和」を重んじる奇妙な会議を見ることも多い。特に主催者側を絶対に傷つけないようにする配慮があるのでしょう。議論をすることが相手の立場を脅かすという心理が働くのか、「過度に空気を読む」ことが常態化してしまい、何ら決まることがありません。

 

報告のための会議に終始していませんか?

 こうした組織でも、一人ひとりと接すると誰もが良い人たちで、自分の意見も持っているのですが、会議では発言が少なく、何も決まらない、決められないのです。このような組織では、ミーティングや会議が「報告」の場で終ってしまい、事前に資料で配布しておけばよいことをわざわざ発表する。そして、配下の担当者は、資料づくりそのものが目的化し、費やす時間はどれほどのものであるかわかりません。会議の資料づくりが行われるのは日本だけの特性ではありませんが、その会議が議論を土台とせず、報告を土台としている。したがって、どんなに綺麗に理路整然とした資料が出てきても、その価値は極めて低いといわざるを得ません。そして、会議の場も議論がないから静かです。これが会議のお作法なのです。会議やミーティングは、議論に基づく意思決定を行ってこそ意味がある。しかし、部下が大半の勤務時間を使って作成した資料を、大局や背景を読まずに字面だけを追って、細部にこだわり、やり直しをさせ、何も意思決定しない経営者やリーダーが多いのはなぜでしょう。改革が必要となっている組織には、議論する勇気が必要なのです。

目立つ存在はたたかれる

 黙って仕事をしていればよいような組織に所属していれば、これほど心地よいものはありません。常に都合のいいことをつなぎ合わせて、適合点という落としどころを探し、それがあたかも良い方法であるかのような錯覚の中に安住できるからです。また、こうした組織では、自ら立ち上がっていこうとする気概のある人材が現れると、「お前は青い」「経験不足の象牙の塔」というレッテルを貼られてしまうので、戦略を立てられる優秀な人材は育ちません。優秀な社員を規定の枠にはめ込もうとする組織は、実は内部に「甘えの構造」が存在している可能性が高いといえます。

 

従来を肯定する組織になっていませんか?

 甘えの構造を生み出す要因のひとつは、従来を肯定する姿勢です。ある企業の商品開発会議での会話です。ある新製品に対して「・・・・というイメージである」「・・・・と思う」「・・・・だから売れないと思う」という後ろ向きな考え方が広がり、新製品など出さなくても従来のままやっていればよいという意識が蔓延していました。判断基準の原点は「既存製品」。これまでの製品が立ちゆかないからこの部門の業績が低迷しているのに、その認識もないまま、従来を肯定することを許してしまう甘さがありました。

 こうした甘えの構造により業績が低迷した企業では、一見すると仕事はちゃんとやっているように見えます。そして、「未来へチャレンジ」という言葉は飛び交いますが、実のところ、何かを変えていこうという意欲が全くみられないのです。それにもかかわらず、いつかはよくなるといった他力本願の楽観的な雰囲気が漂います。また、多くの事業をもつ大企業であれば、この事業が駄目なら別な事業もあるといった逃避的な行動や考えがどこかに見え隠れすることもあります。これはそこに所属する一人ひとりの問題というよりも、組織全体に漂う虚ろな雰囲気が社員のやる気を奪っていく組織の問題であるといえるでしょう。

 

組織の慣習を打破する

 そもそも、「組織」とは何でしょうか。ハーバート・A・サイモン氏は、その著書「経営行動」(ダイヤモンド社,1989)の中で、組織という言葉は、「意思決定とその実行を含めた、人間集団におけるコミュニケーションとの関係するパターンを意味する」と表現しています。会社という組織は大小を問わず、何らかの意思決定を行い、実践するために集まっています。そして、意思決定のためには各々の持つ情報の格差を埋めるためにコミュニケーションが必要なのです。会議やミーティングはその一つの手段です。更にサイモン氏は著書の中で、「水が少しずつ常に流れることによって起こる侵食のように、経営者を取り巻いている組織における行為のパターンにあらわれる」と表現していて、前の意思決定の仕方が、次の件、そしてまた次の件と経るにつれて、組織的な特性が形成されることを指摘しています。「うちの会社の組織特有の・・・」「うちの会社の常識は世間の非常識」といった表現をよく聞きますが、これらは長年の侵食による弊害を端的な言葉で表現しているのではないでしょうか。

 もし、スピード感を持った組織変革をめざすならば、これまでの慣習を打破していかなければなりません。

 

議論から逃げない組織を作る

 停滞した組織に属している一人ひとりと話すと、仕事に対する責任感が強く、「こうしたら良くなる」といったカイゼンの気持ちもあることがほとんどです。しかし組織として行動すると、第三者的な立場で周りを見てしまい、「誰かがやってくれる」、「会社が認めてくれない」といった依存する意識がなぜか強くなってしまいます。そして、意思決定の場面では、無難な方向に無意識に向かってしまうのです。

 また、日本企業は、労働者に対してコンプライアンスに抵触しないようにと安全運転を続けます。それは良いことなのですが、過度に安全運転を続けると、会社に依存し、甘え構造ができあがってしまいます。もし、本当に変革を望むのであれば、甘えの構造があることに気づき、しなければならない議論から逃げない組織を作っていく必要があります。

 

  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

よく読まれている記事